刺激を感じなくなった24歳

新しい体験をしたとき、新しい発見があったとき、「刺激」を感じると思います。
しかし24歳になった私は最近「刺激」というものを感じなくなってきました。
自分の考えをまとめることも含めて今回は記事にしようと思います。
体験に全てを捧げた人生
10代の頃からやりたいことは何でもやる精神で色々なことをやってきました。
音楽・スポーツ・本・映画などなどおもしろそうなことはとりあえずやってみました。そのお陰か一生物の趣味にも出会うことができました。

大学生になってからはより自由度が増し、日本中を旅しました。バイクでの旅も鉄道での旅もいい経験になりました。

コロナ禍が終わってからは海外にも行きました。日本での旅とは違い、言葉も常識も違う世界に刺激を感じました。

他にも小説を書いてみたり、映像制作をしてみたりと様々なことへ挑戦しました。このブログもそうです。
やりたいことがなくなることへの恐怖
初めての海外旅行で台湾を訪れたときにずっと思っていたことがありました。それは「世界を旅してしまったら何をすればいいのだろう」ということ。

世界中を旅したい気持ちは今でもあります。しかし、人生でやりたいことが、もう世界を旅することくらいになってしまいました。
日本での旅では全国各地様々な人と出会い、多くの刺激を受けてきました。初めての海外で常識の違いに刺激を感じたことも確かです。
でも、海外の旅に慣れてしまったら、もう刺激を感じることは無くなってしまうかもしれない。そんな恐怖がありました。
コンテンツ消費への飽き
音楽もアニメも本も映画も、これまでたくさん触れてきました。しかし、最近ではそれらのコンテンツを見ても何も感じなくなりました。
決まったコード進行で流れる音楽、展開に傾向のあるアニメ、前にも見たような内容の本。もちろん探せばこれまでに無かったものがあるかも知れませんが、膨大なコンテンツの中で真新しいものを見つけるのは難しくなってきました。
鬼滅を見ても、過去にこんな作品あったなぁという気持ちでしか見られないのです。
右も左も分からなかった頃
まだあまり新しい体験というものをしてこなかった頃、新しいことを始めるのは大変なことでした。本を買えば良いのか、ネットの情報を見れば良いのか、教室に通えば良いのか。何から始めれば良いのかさえも分からない中、手探りでやり方を考えていました。
今はどうでしょう。新しいことを始めるには本を買ってみてとりあえずやってみて、それでも分からなかったらSNSなどで聞いてみてという自分なりの一連の流れができてしまっています。
新しいことを始めるにしても、以前と同じ流れ作業でしか無くなってしまったのです。
結婚の時期なのかもしれない
人生やることが無くなってきたと言う人から結婚をするんじゃないかと最近思い始めています。私もそろそろこのフェーズに来たのかなと思っています。
確かに、今までは自分一人だった人生という名のゲームに、新しい登場人物を追加するのは新たな発見がありそうです。
でも、まだ不安定な年齢で誰かの人生を支えられる自信もありません。本当に悩ましいところです。
これからも旅を続ける
今やりたいことである世界の旅は続けていきます。
その先どうなるかは分かりませんが、旅をする中で新しくやりたいことが見つかるかも知れません。
もし世界中を旅してみて、それでもやりたいことが見つからなければ結婚するしか無いんだと思います。
これからのことは、これから考える。